​私の治療家ヒストリー

◎加藤 高夫(かとう たかお)

1975年12月生まれ 妻と一人娘の3人家族。

愛知県安城市法連町にある、整体院『癒いこい』の院長。

炭酸整体協会インストラクター、イネイト活性療法師。

当院は、一瞬で血流が良くなる整体法で、『肩こり』や『腰痛』などの一般的な症状から、妊娠しやすい体つくりや妊婦さん、赤ちゃんからの整体も行っています。

 

また、この調整法は、細胞から元気なる整体なので、アトピーなどの皮膚疾患、糖尿病などの内臓疾患、パーキンソン病などの難治性と言われる症状にも対応しています。

今でこそ、さまざまな症状を調整できるようになって、遠方からも沢山の患者さんが来ていますが、ここまで来るには、いろいろありました。

​そんな、紆余曲折のあった、私の治療家ヒストリーを少しばかりですが、お楽しみくださいm(_ _)m

いつまでその仕事やっていくの?

初めての就職先は、大学を卒業して入社した某厨房機器の営業職でした。

 

社会人になって7年目の時に、友人からこんなことを言われました。

 

「今の給料でずっとやっていけるのか?」

 

友人からの何気ない言葉が、私の心に刺さりました。

「もうすぐ30歳になるのに、たしかにこの給料はまずいかも知れない」

 

当時は、まだ独身だった私は、この言葉をきっかけに、将来のことについて、少し考えるようになりました。

転職の誘い

友人の言葉が、時々頭をよぎりながらも、いつもと変わらず仕事を続けていました。

そんなある日、別の友人から大手工場の転職の話が舞い込んできました。

「なんか増員するみたいで、従業員募集してるぞ!ラインの仕事だけど、今の仕事より給料は断然にいいらしいぞ!」

 

このタイミングでこの話が来たのは、運命だと思いました。

ただ、どうせ転職するなら「他の仕事も一通りリサーチしてみようかな?」と思いました。

 

それから、いろいろと転職先を探すようになりました。

本屋で偶然見つけた雑誌で

転職の話があってからは、時間があれば、ネットや求人雑誌を見るようになりました。

その時、本屋で偶然見つけたのが、専門学校の雑誌でした。

「へ~、こういう雑誌もあるんだな~」

普段なら、目にも止まらないような雑誌なのに、なぜかこの時は、ふと手に取ってしまいました。

そこには、整体やら整骨院の学校などがいくつか載っていました。

本来なら、求人雑誌を買うべきなのに、なぜかその時は、その専門学校の雑誌を握り締めてレジの前に立っていました。

今でも鮮明に覚えていますが、雑誌を読んでいる時、頭に浮かんでいた映像は、患者さんに整体をしている自分の姿でした。

工場に行くことに決めた

その日から、整体について、いろいろ調べるようになりました。

だが、そうこうしているうちに、工場の募集の期限も近づいてきました。

「いろいろ考えたけど、やっぱり工場が一番かな?」

 整体には興味はありましたが、やっぱり、安定している工場の仕事は捨てがたかったのです。

もともと、中途半端が嫌だった性格もあり、思い切って、今の会社をやめて、工場の試験を受けることに決めました。

幸いにも試験に合格する事ができたので、工場で働くことができるようになりました。

整体への興味が増していく

工場に勤め始めて半年くらい経った頃、部屋に置いてあった専門学校の雑誌がたまたま目に付きました。

「整体ってやっぱり面白そうだな?」

その頃から、再び整体への興味がどんどん増して行きました。

それから、3ヶ月ほど立ったとき、貯金もできてきたので、思い切って整体学校に通うことにしました。

私が通った学校は、整体院の中に有り、自由なときに学びに行けるのがよかったです。

はじめて夢中になれた

工場は、夜勤もあり、昼の仕事の時は、仕事帰りに通い、夜勤の時は午前中に勉強をしに通いました。

体力的には、かなりハードだったけど、そんなに苦ではなかったです。

なぜなら、はじめて自分がやってみたいと思うことに夢中になったからです。

昔から、特に何かしたいことがあったわけでもなかったので、入れそうな学校に入学して、入れそうなところに就職していました。


いわゆる、夢のない子供時代を過ごしてきたのです。

だからといって、毎日が退屈だったわけではないが、こんなに夢中になったことは、正直今までありませんでした。

​学校卒業

学校に通い始めて、1年が立ち、卒業の時期になりました。

その学校は、卒業すると、併設の整体院で、見習いでお手伝いができる制度がありました。

見習い中は、給料などは一切発生しません。

同期の仲間は「ただで働くのはブラックだ!」と言って、どんどんやめていきました。

私はというと「素人の私に、患者さんをつけてくれるなんて、とてもありがたい!」

 

そんな感じで、私はこの環境に、とても感謝していました。

工場で働きながら、日曜日だけ整体院で働き、1年が経った頃、そろそろ自分のお店を、持ちたいと思うようになってきました。

出張整体をはじめる

いきなりお店を持つのはリスクが高いと思ったので、まずは、知り合いの紹介などで、出張整体を始めることにしました。

平日は工場で働き、日曜日のみ出張整体をする生活を2年間ほど続けました。

患者さんから喜びの声をいただくたびに、どんどん独立の思いが大きくなってきました。

「整体1本でやっていきたい!」

そういう思いはありましたが、正直迷いもありました。

当時働いていた工場なら、平均的サラリーマンより給料は高かったし、休みなどもしっかりしていたからです。

「ここで働いていれば、一生安泰だ!」

周りの人たちも当然そう思っていたと思います。

しかし、溢れてくる思いは、私には止めることはできませんでした。

またまた運命を感じる

偶然にも、母親の知人から「借家があるけど、そこでお店を出したらどう?」と話が舞い込んできました。

転職の時と同様に、私は運命を感じました。

場所は、決して良い立地ではなかったが、治療の腕には自信があったし、根拠のない自信もありました。

借家も自由に改装して良いと言われていたので、さっそく改装工事にかかり、時期をみて、工場を退職しました。

今までの整体の限界

私も開院当初は、一般的な整体を行っていました。

ストレッチをしたり、マッサージをしたりしながら、姿勢を良くすることを目的に調整をしていました。。

初めは、順調に結果が出ていました。

しかし、徐々に効果の出ない患者さんが出てくるようになったんです。

それは、徐々に症状の重い患者さんが来てくれるようになったからです。

症状の重い患者さんには、ストレッチをしても、マッサージをしても、一向に良くなっていかないんです。

正直あせりました。

今まで、やって来たことがまったく効果でないんですから。

特に辛かったのは「先生、いつになったらこの痛みなくなりますかね?」って聞かれることでした。


当時は「良くなってきているからもうすぐだよ!」と、患者さんに言うしかできなかったです。

あの頃は本当に辛かったです。

運命の出会い

そんな時に、運命の出会いがありました。

もともと、顔は知っていた大阪の有名な先生から「新しく整体の協会を立ち上げるから一緒にどうかな?」と声をかけてもらったのです。

私は、迷いなく協会に入いることに決めました。

そこで手に入れたのが 『炭酸整体』だったのです。

 

衝撃を受けました。

 

概念も効果もまったく違いました。

「や、やばい!」 「あんなに手こずっていた症状が瞬時に改善してしまった!」、本当に驚きの連続でした。

 

過去の技術を全て捨てた

炭酸整体と出会って、今まで効果の出なかった症状の患者さんがどんどん良くなっていきました。

 

それに関しては、とても満足してました。

 

しかし、複雑な心境でもありました。

 

だって、私が今までやってきたことはなんだったんだろうと思ったから。

 

必死に勉強して、身につけた技術も、あっという間に使用しなくても良くなってしまったから。

 

でも、仕方ないんです。

 

患者さんが、あんなに喜んでくれるんですから。

 

そう受け入れることが出来た時、パッと目の前が明るくなりました。

 

炭酸整体と出会って半年後に、過去の技術を全て捨てる覚悟ができたのです。

全国でも珍しい炭酸を使った整体

全国でも珍しい炭酸整体は、初めて受ける患者さんに好評でした。

新感覚の整体だけでなく、変化が瞬時に出るところに、患者さんは驚きました。

炭酸整体を、自分なりにどんどん研究していくと、さまざまな症状にも対応できることがわかってきました。

最初は、肩こりや腰痛などの、整体院などで対応できる症状だけでした。

それが、今では、内科系の疾患から婦人系の疾患まで対応できるようになってきたんです。

対象の年齢層も、生まれたばかりの赤ちゃんから、90歳以上の高齢者まで診ることが出来ます。

それは、害のない炭酸ミストの効能と負荷のない施術だからです。

どんな症状でも、対応可能の技術にまでになっています。

それでも、まだまだ発展途上の技術です。

これからも、患者さんに1日でも早く楽になってもらうために、上を目指します。

次は、あなたの番です。

どこに行っても、納得のいかなかった症状があれば、炭酸整体を受けに来てください。

あなたの勇気ある一歩を、私が受け止めます。